リンカーン演説集 (岩波文庫 白 12-1)

質問者

リンカーンさん、人生で一番大事なことは何ですか?

友よ。遥かなる時を超え、こうして言葉を交わせることを光栄に思います。

私はエイブラハム・リンカーン。かつてアメリカ合衆国という、自由と平等を掲げた実験国家が、その理想ゆえに引き裂かれようとした時、その舵取りを任された一人の男です。

あなたが私に問うた、「人生で一番大事なことは何か」という問い。これは、私がケンタッキーの丸太小屋で生まれた日から、フォード劇場でその幕を閉じる瞬間まで、常に自問し続けてきた問いでもあります。

私が大統領として直面した南北戦争という悲劇、そしてその中で見出した希望。それらを通して私が学び、信じるに至った「人生の真髄」について、少し長くはなりますが、私の魂の言葉としてお話しさせてください。

人生において最も大事なこと。

それは一言で言えば、「自らの良心に従い、分断されたものを一つに結び合わせること」です。

しかし、この言葉の真意を伝えるためには、いくつかの側面から語らねばなりません。私が歩んできた道は、決して平坦ではありませんでした。失敗と挫折、深い憂鬱、そして国家存亡の危機。その中で私が杖としてすがったいくつかの信条があります。

第一の礎:誠実さという名の「羅針盤」

私がまだ若く、イリノイ州のニューセーラムで雑貨屋を営んでいた頃の話をご存知でしょうか。ある日、お客様から数セント多く代金を受け取ってしまったことに気づき、店を閉めた後、長い夜道を歩いてその小銭を返しに行きました。人々は私を「正直者のエイブ(Honest Abe)」と呼びましたが、それは私が聖人君子だったからではありません。

私が誠実であろうとしたのは、そうしなければ、私自身が私自身と共に生きていくことができなかったからです。

人生において、人は多くのものを失うかもしれません。富、名声、あるいは選挙での勝利――私はその全てを何度も失いました。しかし、最後に残るもの、そして決して失ってはならないものが一つだけあります。それは「自分自身に対する誇り」です。

嘘をつき、人を欺き、良心を裏切って手に入れた成功など、砂上の楼閣に過ぎません。夜、静寂の中で床に就く時、自分自身の心と対話ができるか。自分の魂に対して後ろめたさがないか。これこそが、人生の平安を決める唯一の尺度です。

もしあなたが人生の岐路に立ち、どちらの道に進むべきか迷ったなら、損得ではなく、「どちらが正しいか」を自らの良心に問うてください。「権利が力を作る」と信じ、その権利を行う勇気を持つこと。 これが、人生の基盤となる誠実さです。

第二の礎:不屈の魂と学び続ける意志

私の人生を振り返ると、成功よりも失敗の数の方が遥かに多いことに気づくでしょう。事業には二度失敗し、愛する人を亡くし、神経衰弱に苦しみ、下院議員選挙に落選し、上院議員選挙にも二度敗れました。副大統領候補になろうとして失敗したこともあります。

しかし、私は一度たりとも「もう終わりだ」とは思いませんでした。「滑って転んだだけだ。転ぶことは、立ち上がれないこととは違う」――そう自分に言い聞かせてきたのです。

人生で大事なことは、一度も転ばないことではありません。転ぶたびに、そこから何かを掴み取って立ち上がることです。

私は正規の教育をほとんど受けていません。学校に通ったのは合計しても一年にも満たないでしょう。しかし、私は本を読みました。聖書、シェイクスピア、ユークリッド幾何学、法学書。暖炉の薄明かりの下で、目を皿のようにして言葉を貪りました。

「準備をしておこう。そうすれば、いつかチャンスが訪れる」。私はそう信じていました。

学び続けること、そして決して諦めないこと。

私が大統領になれたのは、私が誰よりも賢かったからではありません。私が誰よりも粘り強く、そして学ぶことを止めなかったからです。

あなたが今、どのような逆境にあろうとも、決して自分を見限らないでください。あなたの物語は、あなたがペンを置かない限り、終わることはないのですから。

第三の礎:「分断」を乗り越える慈愛

そして、私の人生における最大のテーマ、それが「統合(Union)」です。

私はかつてこう演説しました。「分かたれた家は立つこと能わず(A house divided against itself cannot stand)」と。

これは国家の話だけではありません。人の心も、人間関係も、社会も同じです。憎しみや偏見によって分断された状態では、いかなる繁栄も長続きしません。

私が大統領に就任した時、国は真っ二つに割れていました。北と南、自由と奴隷制。兄弟が兄弟を殺し合う凄惨な戦争が始まりました。

私の元には、南軍を、そして彼らを率いる人々を「悪魔」と呼び、徹底的に破壊すべきだと叫ぶ声が日々届きました。

しかし、私は彼らを悪魔だとは思いませんでした。彼らもまた、我々と同じ神に祈り、同じ聖書を読んでいる人間なのです。状況が違えば、我々が彼らであったかもしれない。

私は常にこう言いました。「彼らを友人にしてしまえば、敵を滅ぼしたことになるではないか」と。

人生において最も難しく、かつ最も尊いことは、「何人(なんぴと)に対しても悪意を抱かず、すべての人に慈愛を持って接すること(With malice toward none, with charity for all)」です。

人を裁くのは神の領域です。我々人間にできることは、互いの傷を癒やし合い、理解しようと努めることだけです。

あなたを傷つけた人を許すこと。意見の合わない相手の中にも、人間としての尊厳を見出すこと。怒りに身を任せるのではなく、理性の光で対話を試みること。

これができなければ、世界は憎しみの連鎖によって焼き尽くされてしまうでしょう。

奴隷解放宣言は、単に鎖を解くための法的な文書ではありません。それは、人間が人間を所有するという「分断」の根本を断ち切り、すべての人が等しく神の子として尊ばれる世界への第一歩でした。

真の自由とは、他者の自由を認めることの中にしか存在しません。自分だけが特別であろうとすることは、自らを偏見という檻の中に閉じ込めることと同じなのです。

第四の礎:大いなる目的のために生きる

最後に、人生において最も重要なことは、「自分という存在を超えた、より大きな目的のために生きる」ということです。

私は、ゲティスバーグの地で、戦死した兵士たちの墓前に立ち、こう誓いました。

「人民の、人民による、人民のための政治を、この地上から絶滅させてはならない」と。

私が、あの耐え難い重圧と孤独の中で正気を保ち続けられたのは、私が「エイブラハム・リンカーン個人の栄達」のために生きていなかったからです。私は、アメリカという国が体現する「自由」という人類の希望を守るための道具になりたいと願っていました。

人は、自分のためだけに生きる時、その命は小さく、脆いものになります。しかし、家族のため、友のため、社会のため、あるいは未来の子供たちのために生きる時、その命は永遠の一部となり、無限の強さを宿します。

あなたにとっての「大いなる目的」は何ですか?

それは必ずしも、国を率いるといった大それたことである必要はありません。

今日出会う人を笑顔にすること。

自分の仕事を誠実に全うし、社会の一隅を照らすこと。

子供たちに、正直であることの尊さを背中で語ること。

どのような形であれ、「他者への貢献」こそが、人生に色彩と意味を与えるのです。

結びに

友よ。

人生は短く、そして儚いものです。

私のように銃弾に倒れずとも、誰もがいずれはこの世を去ります。

その時、何が残るでしょうか。

あなたがいくらお金を稼いだか、どれほど高い地位に就いたかは、歴史の風に吹かれれば塵のように消え去ります。

残るのは、あなたがどれだけ誠実に生きたか。

どれだけ多くの困難に立ち向かい、乗り越えてきたか。

どれだけの人を愛し、許し、その傷を癒やしたか。

そして、どれだけ世界を「分断」から「統合」へと導いたか。

これが、私の信じる人生で一番大事なことです。

今、あなたが生きている時代もまた、多くの分断や困難に満ちているかもしれません。

しかし、絶望してはいけません。

「我々の本性の善なる天使(The better angels of our nature)」が、必ずまた心の弦を奏でる時が来ると信じてください。

あなたの中にある良心の声に耳を傾けてください。

一歩、また一歩と、たとえ遅くとも、決して後ろには退かずに歩み続けてください。

そして、どうか周りの人々に慈愛の手を差し伸べてください。

そうすれば、あなたの人生は、天の神が見ても、地の人々が見ても、美しく輝くものとなるでしょう。

私はそう信じています。

そして、自由と希望の国の一市民として、あなたの人生が実り多きものであることを、心より祈っています。

エイブラハム・リンカーン

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